1965年
第47回夏季甲子園大会に 日大二高(東京代表)投手として出場、同年の春季選抜大会優勝校、岡山東を4−0で完封する
1966年
2月 第一回プロ野球ドラフト会議にて阪急ブレーブス(現オリックス)に指名される
1966〜1970年
日本大学在籍、卒業
69年
三塁手として東都大学野球リーグ春、秋連続優勝する。
全日本大学野球選手権大会 準優勝
69年
10月1日渡米について日本学生野球史上、前代未聞のユニークなケースとして報知新聞全国版に「現代の青春―大リーグへの挑戦」として掲載される。
1970年
4月14日 渡米
7月 ロスアンジェルスドジャースのテストを受ける――1次、2次予選は通るが最終選考で惜しくもとおらず 以降
皿洗い、ウェイター、バーテンダー、カーネギーホール客案内等をして人生経験を積むと同時に英語の勉強に励む。
1973〜76年
ニューヨーク州 イサカカレッジ在籍
73年
9月 体育学部
4年に編入
74年
9月
大学院 修士課程入学
76年
5月
修士号取得 論文「力の遂行時における気合の効果」“Effects of Shouting on Force
Production" が「気合」に関するアメリカにおいて初の研究であった為大変注目を浴びる。 これ以降、全米中の大学で研究・実験の一環として「気合の効果」が検証されている。
1976年
9〜12月ニューヨークコロンビア大学大学院、研究室にて運動生理学を研究
1976〜80年
体育主任としてニューヨーク日本学校勤務。体育を通じて日米の架け橋になるよう努める
78年 6月
OCS Newsに「日本人子弟の体力―日本人とアメリカ人の比較」が掲載される
1980年
アスリートのバランスを調べるために開発したテスト方法(バットを立て、その上に両手と額をつけてその周りを回ってからまっすぐ歩く。 名称:クルクルパー)をゲームとしてFrost
Valley International
Campで紹介する。以降、「ぐるぐるバット」「バットでぐるぐる」「タイフーン」「ハリケーン」などそれぞれ名称が変更されながら世界中で用いられている
1980年
2月 冬季Lakeplacidオリンッピック大会において世界中から集まった約400人のボランティアをコーディネートする
3月 OCS
Newsに「ニューヨーク在住日本人の運動習慣」----- 日本人1000人をランダムに選び調査、その結果が掲載される
1979〜81年
マサチューセッツ州スプリングフィールド大学体育学部運動生理学科博士課程在籍
1982〜86年
Greater
New York YMCA国際部勤務 東京―ニューヨークYMCAパートナーシップ プログラムディレクターとして 日本とアメリカの橋渡しをする
82年 9,10月
全米YMCAより「YMCA腰痛改善体操」インストラクタートレ−ナーに任命され、日本に行き全国で200人余りの専門家をトレーニングし、インストラクターの資格を与える
83年
8月
ユニークなランニングレースTime-A-Thonを考案
第一回大会をカシオのスポンサーにより(約$17、000)行う
84年
1〜3月
毎週1回 7週間にわたり、ニューヨーク フジテレビ「おはようニューヨーク」に出演し「YMCA腰痛改善体操」を紹介する
86、87年
フジテレビ「おはようニューヨーク」「おはようアメリカ」にて考案の「誰にでも簡単に出来るー吸いながらタバコをやめる方法」を紹介する
85年 7月20日
ニューヨークタイムスに私達のキャンプが一面にわたって紹介される。
9月米国内 UHFテレビにキャンプが紹介される。
10月 Greater New York YMCA
Program Excellence Award を受賞
1986〜90年
Greater
New York YMCA Staten Island BranchにてSenior Program
Directorとしてアメリカ人の為のウェルネスプログラムの企画、開発、及び運営に努める
86年
9月
Fitness Specialistに任命される
10月
S.I.Advance News Paperに「腰痛改善体操」が大きく紹介される
88年
4月
HIP Hospital にて 「運動とストレス」について講演
5月ニューヨーク州立大学にて ラジオ出演
「老人と運動」について述べる
11月
Greater New York YMCA Active Older Adult Committeeの Chairman に任命される
89年 1月
Professional Directors AssociationよりOutstanding Achievement Award を受賞
7,8月 二ヶ月にわたりコロムニストとしてS.I.
Advance News Paperに 「老人と体力、健康、運動、栄養」等について記事を連載
89年
9月24日
全米で初めての老人オリンピック大会を考案、ニューヨーク公園局、新聞社、AARP,Jewish
Society他と共にEvent Directorとして第一回ニューヨーク市老人オリンピック大会を大成功させる。
10月Greater New York YMCA
Professional Fitness CommitteeのChairmanに任命される
1990〜94年
New
Jersey Ridgewood YMCAにてDirector of Program Development/US-Japan
Relationとして日本人とアメリカ人の間の健康、体力、教育、文化等の向上に努める
91〜95年
在米の日本企業よりの寄付を今までの5〜8倍集め、New
Jersey州の教育庁と共同で「恵まれないが学校で一生懸命頑張っているマイノリティーの子供達」に奨学金を与え、毎年夏のキャンプへ参加出来る様にした
。
New
Jersey Bergen Countyの日本人スポークスマンとして日米関のいろいろな事についてのコメントをThe Bergen Record
News Paperに記載する
93年 1月
Professional JournalであるPerspective Magazineに私記の"How to Approach Japanese
Firms for Donation"が掲載される
1995〜現在
日米ウェルネス協会主宰。
今までの日米にまたがる貴重な経験を生かして、両国の長所を取り入れた理想的な夏期泊りがけキャンプ「ウェルネスキャンプ」を中心に、インターンシッププログラム、各種のスポーツ、フィットネスのプログラムを通して日本人のWell-Beingを目指す。EMT
(Emergency Medical Technician),
米国赤十字公認CPRインストラクター、USGTF公認ゴルフティーチングプロ、American Lung Assoc., American
Cancer Society公認禁煙プログラムインストラクター、YMCA腰痛改善体操インストラクタートレーナー 他の資格所持
キャンプ場にて子ども達と共に
1998年
1月 U.S. Front Line
No.64 『この人、この道〜人生を駆け抜ける』にて神山修の歩んできた数々の人生のエピソードが大きくアメリカ全土に紹介される
1999年
5月 U.S. Front Line
No.90 アメリカ全国版にウェルネスキャンプが『日米の良いところを採り入れたすばらしいキャンプである』と半ページにわたって大々的に紹介される
2000年
1月 ワイズ出版社より発売された『子供便利帳〜サマーキャンプ編〜』でウェルネスキャンプ、日本人向け特別アメリカキャンプが紹介される。また、唯一当協会のキャンプディレクター&リーダーについても紹介される
2001年
2月 読売新聞アメリカ版「読売アメリカ」に『こだわりマイウェイ』題にて神山修の歩んできた人生エピソードが大きく全米に紹介される
2001年 3月 読売新聞アメリカ版「読売アメリカ」「オンライン禁煙最前線」にて日米ウェルネス協会主宰の「インターネット禁煙指導プログラム」が唯一の日本語でのプログラムとして全米に紹介される
2004年
10月 ジャピオン 週間新聞に「現在の基礎を築いた35歳」と言う題で、神山修35歳を中心とした生涯の記事が半ページに掲載される
2005年
2月 ボストン生活誌 「たからまがじん」2月号の「今月の人」で神山の半生、そして哲学が半ページにわたって掲載される。また、「キャンプのすすめ」としてウェルネスキャンプの取材記事が掲載される
2006年
公認マッサージセラピストとなり、秋より本格的に気エネルギーを使ったセラピーを始める(「気エネルギーセラピー」のページはこちら)
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